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2008年08月31日

歯周病症例検討会

8の診療が全て終わった!
私にとって45回目の夏も
あっと言う間に去って行ってしまった。

目標のダイエットもままならず!
これから恐ろしい食欲の秋が来る!!

最近怖くて体重計に乗れない!!!


土曜日の診療後、スタッフの有志が集まって
症例検討会が当院で開催された。

この症例検討会はチーフ衛生士のNが
若い衛生士の育成にと開催しているものだが
今回のテーマは特に「歯周病」

当院に歯周病の治療で来院されている方の
症例を数例挙げて、参加したスタッフがその症例に
対して意見を述べて検討する会となった。

歯槽膿漏、歯周病の治療には歯科衛生士の存在は欠かせない!

その点、当院は15名の優秀な歯科衛生士が在籍している。
(15名は岡山県下でもトップレベルと自負している!)

その歯科衛生士と5名の歯科医師の力と、歯科助手、歯科技工士
受付スタッフの全ての力を総合して、歯槽膿漏、歯周病の治療に当たっている。

今まで16年間、かなりの結果を出してきたつもりなので
多くの方が歯槽膿漏、歯周病の治療を希望されて、紹介で遠方からも
来院される。

しかし、しかし、歯槽膿漏、歯周病の治療は、決して簡単ではない。

ある症例が紹介された。

〇50代の男性!仕事は凄く忙しい。
〇かなりのヘビースモーカー
〇歯磨きは苦手、あまりうまく磨けない
〇噛み合わせは悪く、歯ぎしりもある
〇到るところが腫れて、膿が出て来る
〇自分の歯にはあまり興味がない

「院長!どうしましょうか?」
担当の歯科歯科衛生士から相談を受けた。

「難しい!!結論が出ない!」
参加したスタッフからも多くの意見が出された。

「インプラントはどうでしょうか?」
「かなりのヘビースモーカーで歯周病が進行した方には
インプラントはリスクが高すぎる!」

「では入れ歯ですか?」
「入れ歯もクラスプ(入れ歯の針金)をかけた歯が
徐々に悪くなるのは目に見えている!」

やはり歯槽膿漏、歯周病の治療は難しい。
今年の4月から保険にも歯周病の再生療法が新たに
認められたので、患者さんからのリクエストも多いのだが
一度失った骨や歯肉を再生させるのは
誰でもどこでも出来るわけではない!

再生療法は、今はまだかなり制限された治療なのだ。
重箱の隅を突くような結果しかだせないのなら、しない方がマシな時もある。

多くの方に歯槽膿漏と歯周病の正しい知識を持ってもらうために
当院では新たなホームページ「歯槽膿漏歯周病治療室」をオープンした。

http://www.sisounourou.com/

今年は今までより一層、歯槽膿漏歯周病の治療に力を入れる!!


投稿者 nakano : 10:02 | コメント (0)

2008年08月29日

大荒れの東京

木曜日は終日東京で
セミナーを受講する予定だった。

いつもの始発の7時30分発のANAで東京に飛ぶためには、
余裕を持って岡山空港へ7時には付かないといけない。

逆算すると家を出るのが6時半!起床は朝の6時前か??


しかし、ドバイから帰国してから、ずっと体調が芳しくない!
理由はわかっている。

寝すぎと、食べ過ぎと、飲み過ぎ。

睡眠時間なんて5時間か6時間で十分だが、最近の私はよく眠る。
深夜1時過ぎに寝て、8時前まで眠ることも多い。

またお中元に私が好きなスイーツを大量に貰っているので
食事の後のデザートには事欠かない!!

この時期、私は夏バテで、自然と体重が減少する時期なのに
今年はなぜか体重がかなり増加している。

ましてやアルコールとカフェインは体に毒といつも
言っている私がなぜか最近コンビニワインにハマっていて
毎晩赤や白のコンビニワインで乾杯している。

(セブンイレブンのコンビニワインはチリのコンチャイトロ!
680円であの実力は凄い!!)

まあ、言わば、最近の私は、食欲、睡眠欲、アルコ−ル欲に、少しだけ
溺れてしまって、情けない数週間を過ごしているのだ。

私がなりたい自画像は、回りに流されない自分!
それなのに、いつもは8時前に起きる私が
なぜか5時半に自然に目が覚める。

小心者のような自分に、情けなく感じると共に
自分のセ−ルスポイントは、この「まじめ」なのかと思ってしまう。

東京国際フォーラムで開催されたセミナーも
無事終了していつものように
最終のANAで岡山に帰る。

しかし木曜日の関東地方は天候が大荒れで
その上、予備動力に不備が見つかり、出発が大幅に
遅れることになった。

そんな時も誰一人文句を言わない岡山県人気質に
私はうれしく思った。

岡山県人は「まじめ」である。
私はそんな岡山県人の「まじめ」が唯一とりえの
歯医者である。


投稿者 nakano : 23:53 | コメント (0)

2008年08月27日

ついに瀬戸内海の藻屑に!

今日の往診先で
抜歯を依頼された3本の歯の中の
1本がインプラントとわかり
急遽抜歯を中断した。

今日本全国でインプラント治療が進められる中
20年後の状況を考慮した治療を進めたい。


真っ暗な西脇海水浴場に無事に帰ることが
できた私たちは、その後は無茶なことはしないで
風と真剣に取り組んでいた。

ヨットって、風が吹いている方向へも
45度の角度をつけて、タックと言う方向転換を繰り返すと、
風上へと進んでゆけるのだ。

もし日本の今後、世界経済の大きな流れやうねりに巻き込まれようとも
ヨットのような帆を張れば、風上へと流れに逆らって登ってゆくことが
出来る。

どんな状況でも、決してあきらめないで
どんな強風の中でも、また「なぎ」の無風の状態でも
胸を張って、帆を張ることの重要性を私たちは
ヨットから学んだ。

私たちが共同購入したヨット(ディンギー)は西脇海水浴場の
道路を挟んだ海の家の駐車場にお金を払って置かせてもらっていた。

しかし大の大人2名がいても、その駐車場から
海の水際まで運ぶことは、その重量から、
かなり過酷な運動であった。

そんな理由で私たちはいつからか海水浴場の片隅に、私たちのヨットを
放置にすることが多くなった。

近くに牛窓ヨットハーバーが完成した時は
そこで私たちのヨットも管理してもらうことが、ほぼ決まっていたのだが
年間管理料の関係で結局はあきらめた。


そして2回目の夏が過ぎて、秋がやってきたある日!

ある台風が岡山に直撃した。

牛窓や西脇海岸にも直撃するぞ!と共に遭難した友人Kから
電話が入った。

「ヨットを動かさないとまずい!!」

私とKは突風吹きすさぶ中、西脇海水浴場へと向かった。
しかし国道から西脇へと抜ける道は台風の影響で、すべて
進入禁止となっていた。


翌日、岡山地方は昨日の台風の暴風雨が嘘のような
素晴らしいお天気となった。

私とKは、再び車で西脇へと急いだ。
進入禁止は溶けて、何とか西脇へと車を走らせることが
できたのだが、道路の崩壊が台風の規模の大きさを示していた。

到る処に穴があいていて、道路にクルーザーが打ち上げられていたのには
本当に驚いた。


西脇海水浴場へとつくと、そこは修羅場と化していた。

山中腹の別荘は何軒も土台から傾いて、崩れかけていた。
海の家も、民家も、かなりやられていた。

砂浜には多くの木材が打ち上げられ悲惨な状態だった。


私たちのヨットは?

トイレの横に、置かれていた私たちのカタマランの姿は
どこにも無かった。

私たちの管理が悪かったために
ともに夏を謳歌した私たちの大きなパートナーであった
カタマラン「シーファルコン」は瀬戸内海の藻屑と化してしまった。

そして私たちの長かった夏も終わった。

投稿者 nakano : 21:31 | コメント (0)

2008年08月26日

瀬戸内海 二人ぼっち!!

インプラントのオペの後
在宅の往診に出かけ、急いで
戻り産婦人科で母親教室!

午後の4時を回ったころから体調に異変をきたす。

冷蔵庫のヨーグルトドリンクで元気を取り戻そうと
思ったが賞味期限が切れていた。

私たちは試乗したヨットに穴を開けてしまって
責任を取って、そのヨットを共同購入した。

ある年の8月が終わろうとしていた、ある日、
私と友人は二人で、西脇海水浴場の目の前に見えている
小豆島にそのヨットで行くことを決断した。

友人が調べると、西脇から小豆島までは、フェリーなど大きな船の航路には
なっていなく、もし万が一漂流したり、停泊しても、大きな迷惑をかけそうにない。

順調に行けば片道2,3時間で到着する。
またその日の、潮の流れや天気も、私たちは確認済みだった。

万が一のために、カヌーのオールも、水と食糧と、海図も用意した。
仲の良いペンションのオーナーに万が一のSOSの合図も教えて貰った。

用意は万全だった。

その日の西脇には絶好の風が吹いていた。
私と友人のKは風を受けて順調に南へと下った。

すれ違ったり、横切るのは、小さな漁船か
小さなモーターボートばかりだった。

さっき出た西脇海水浴場が、だんだん小さくなって牛窓の全景も一望できた。

順調だった。


目の前に見えている小豆島は意外に遠く、予想を少し超える3時間で
到着した。

友人と二人で小豆島の地を踏んだ感動はいまだに忘れない。


夏の瀬戸内海は「なぎ」と言って夕方には風がピタッと止まる
時間帯がある。

その「なぎ」までにまだ数時間あるが、余裕を持って私たちは
西脇へ引き返すことにした。

1時間くらいはとても順調に風が吹いた。
しかし1時間を超えたあたりから風向きがあやしくなってきた。

と言うより、いきなり今まであれだけ吹いていた風が
ピタッと止まってしまった。

まだ夕方までは時間があるのに?

しばらくそのまま風が吹くのを待っていた私たちは
30分経過しても1時間経過しても一向に吹かない風に
だんだんと焦りを感じ始めた。

でもそんな時のためにこのオールがあるのだ。
友人と二人でカヌーのオールで水を掻き始めた。

しかし、しかし、重いヨカタマランは
大の男2人で一生懸命オールで漕いでも遅々として進まない。

仕方がない!一人がラダーと言う舵を持ち、順番に
一人が海に入ってバタ足でヨットを押し出した。

しかし、その頃には潮の流れが変わって行き、どんどん私たちのヨットは
東の方に押し流されてゆくばかりだった。

「このままじゃ大阪まで流される!」
さすがにお気軽な私もKも青ざめてきた。

段々と日が落ちて行き、闇の帳が訪れそうになる。

やばい!このまま日が落ちると私たちのヨットには全く明かりがない!
衝突される危険性が増す!!

私とKは行き過ぎる漁船やモーターボートに対して
数時間前に教えてもらったSOSの合図を送った。

海の男たち、絶対助けてくれる!!
しかし私たちのSOSが見えないのか?私たちの姿自体が
既に暗くなっている今、見えにくいのか?

誰も私たちを助けに来てくれない!!

これは本気でやばい!!!

その時、一度行き過ぎたクルーザーが
私たちの姿を見つけて、引き返してくれた。

「どうした!」
「実はこれこれで漂流しているんです!!」

私たちの命の恩人となったそのクルーザーの男性は
私たちのヨットをロープで縛り、西脇まで引っ張って行ってくれた。


「あんまり無茶するんじゃないぞ!」
その男性は既に真っ暗になっていた西脇海水浴場のすぐ近くまで
クルーザーで私たちとヨットを引っ張ってくれて、
最後に私たち2人にそう言った。

今では友人と話す良い思い出だが
その時は、海水浴場の砂浜までヨットを引っ張りながら
クタクタで帰ってきた私たち二人は、大きな涙を流しながら
きつく抱き合った。


投稿者 nakano : 21:55 | コメント (0)

2008年08月25日

瀬戸内海 漂流!!

朝から声の調子がおかしい!

昨日の日曜日、大阪で講演会に呼ばれて
2時間ほど話をしたので、あれが原因か?と
思ったのだが、よくよく考えると
岡山に帰ってから家族でカラオケボックスに行った。
どうもあの熱唱がこのガラガラ声の原因らしい!

でも今月の歌?は一曲も私は知らなかった。


土曜日は8月から当院に研修医として来ている
三宅先生の歓迎会をした。
その後、私は一人だけ中央町へとタクシーで移動した。
大安寺高校のハンドボール部のメンバーが
数年ぶりに集まると言うのだ。

私たちは高校を卒業して27年経過した。
集まったメンバーの顔ぶれはいつものメンバーだったが
皆おじさんなっていた。

久しぶりの友人との会話で昔話になった。
「おい、最近海に行っているか?」
「そういやー昔瀬戸内海で漂流したよな!」

私が大学2年の時に、ハンドボールの友人数名で
私達はヨットを共同購入した。

最初は冷やかしでカタマランと呼ばれるヤマハの小さな双胴船を
玉野のヨット置き場で試乗した。

その時の感動と言ったら無かった。
風だけでカタマランは水面を滑るように走った。

横を「すなめり」と言う小さなクジラが何頭も伴走した。

しかし楽しい時間は短かった。
慣れないヨットの操縦に夢中になった
私たちはあろうことか、ヨットの座る場所に穴を
開けて壊してしまったのだ。

弁償するために友人数名で共同購入することになった。

ある夏のこと、私が友人Kを誘って
そのヨットで小豆島に行きたいと言い出した・

その私たち19歳の若者のチャレンジで問題が起きた。

投稿者 nakano : 11:55 | コメント (0)

2008年08月17日

コロンボからドバイへ!

コロンボへ

火曜日の診療を7時に上がって
岡山空港へと急ぐ!7時50分発の羽田行きの
ANAに搭乗するためだ。
定刻より少し遅れて9時過ぎに羽田に到着!
この時間からは成田空港までのアクセスがないことは
先日経験済み!品川のホテルへ宿泊して、翌日
成田エクスプレスで成田へ移動した。

成田発の11時のANA111便でシンガポールへ飛ぶ。
横の登場口が何か騒がしい。
覗いてみると先日就航して話題になったシンガポール航空の
エアバス380、あの2階建ての超大型ジャンボが
時を同じくしてシンガポールへ飛びだとうとしているのだった。
このエアバス380のファーストクラスはスイートクラスと
呼ばれてファーストクラスの上のランクと聞いた。

世の中には凄いものがあるものだ。
格差社会の表れを垣間見る。
ホテルにも大きな格差が生じている。

世界には5つ星ならぬ、7つ星のホテルがあのドバイにある。
バージュアルアラブ
海の上に浮かぶヨットの帆のような特殊な形のホテルを一度は
目にした事があると思う。

シンガポール航空のエアバス380のスイートクラスも
ドバイのバージュアルアラブも一度は必ず体験しようと思っている
私だが、今回成田からシンガポールへ飛ぶのは理由がある。

それはそのドバイをこの目で見たかったからだ。
今石油の価格がどんどん高騰していて、食料品など全ての
価格が全世界的に高騰している事実がある。
日本はもちろん、ベトナムやカンボジアのインフレ率も食料品の高騰も
特に発展途上の国では深刻な問題となっている。
その反面、石油算出国のアラブでは未曾有の好景気に沸くという。
ドバイでは、世界で一番高いビルが建てられ、世界一の地下鉄が建設中で
世界一のショッピングモールが出来ていると言う。

それだけでなくて、海に浮かぶ椰子の形をしたパームアイランドには
あのデビッドベッカムも既に別荘を購入したと聞く。

日本に住んでいるからといって、そのような世界情勢に疎くては
大きなうねりに巻き込まれて時遅し、手遅れになりかねない。
だから今ドバイで、現地の様子を自分の目で見て、今後の自分の行動を
綿密に計画したいと思った。
日本にいても、ドバイの状況も、石油の価格もネットや新聞で必要な情報は全て手に入ると思われるかもしれない。
しかし現実はそうでなく、日本のマスコミの情報がいかに偏っていて、操作されているかは、海外に出て現地の情報に触れてみて初めて気が付く事が多い。

しかしドバイに行くのに、なぜ私は羽田まで飛んで、品川で一泊して
成田からシンガポールへ飛ぶのか?
実はこれには理由があった。
コロンボ発券で格安のドバイ行きのチケットを発見したのだ。
コロンボは、今では以前ほど「うま味」は無いのだが世界一航空券が安い場所である。
以前シンガポールで発券したチケットの最終区間の成田―シンガポールが残っていた。
シンガポールからコロンボまで飛べば、そこからドバイ行きの格安のチケットが手に入るのだ。

海外に出かけるのには、ツアーで無く個人なら相当な下調べが必要となる。
しかし最近の私は忙しさにかまけて、出たとこ勝負でほとんど下調べと準備をしない。

成田空港のチェックインカウンターで、コロンボへの乗り継ぎの件を話したら
「スリランカのビザは既にお持ちですか?」と聞かれる。
「ビザ?」
「コロンボの空港で取ります!」と咄嗟の言い訳をした。

えっ!スリランカ入国ってビザが要ったかな?不安に思う。

シンガポールチャンギ空港のトランジットカウンターで
再び「あなたはスリランカのビザ持っていますか?」と英語で聞かれる。

「ビザ??」

もしビザが無いために、入国できなかったら、どうしよう?

ドバイに行けない!コロンボから強制送還されるのか?

顧問税理士の先生のある言葉が思い出された。
「中野先生、もう普通に海外旅行のチケットを買われてはどうですか?」

私が格安に拘る余り、リスクを取り、時間を大量に無駄にしていることに
業を煮やした優秀な顧問税理士の先生は私に何度もそうアドバイスした。

でも私は海外旅行でのトラブルを楽しんでいる節がどうもある。

海外での咄嗟のトラブルに、即時に対応することは
人間の器を大きくする事にとても効果的だと私は思っている。

胃の中のかわずではなくて、海外をより多く知ったものが
今後の混沌とした世界経済の状況においては必ず強みを発揮する。

それに、それに

私は大きな声では言えないが、ドバイのドがつく「M」体質の歯医者なので
海外でのトラブルは大好きなのだ!!

バンコクでタクシーにボったくられても、ソウルの垢すりで変な男達に拉致されても
深夜のコロンボで命の恐怖を感じても、命さえあれば少しのトラブルは
大したことは無いといつも思っている。

そのためか?海外でのトラブルは私にはとても多い。

これも「呼び寄せの法則」か?


シンガポールチャンギ空港は乗り継ぎにはとても優れた空港である。
無料のインターネットがいたるところにあるし、もちろん24時間オープンしていて
あらゆるサービス面で優れていて、あの成田空港とはえらい違いを感じる。

今回5時間の乗り継ぎの時間が合ったので、嬉々としてサービスカウンターへ進んで
無料の市内観光を申し出た。
シンガポールでは乗り継ぎの時間が4時間以上あれば
何と無料で市内観光が楽しめるのだ。

「4時20分に最終のバスは出発しました!」
時計を見ると、4時50分!やはり下調べをするんだった。

後悔先に立たず!

仕方が無いので、空港のプールでぼけっとすることにした。
水着はスーツケースに入れたまま、コロンボまでスルーで預けているので、仕方なく空港の中を走り回ってスポーツショップで水着を購入した。

シンガポールからコロンボまでの夜の9時半出発のキャセイパシフィックは、5時間前に到着した全日空とかなり様子が違っていた。

ほとんどの乗客がスリランカ人?色が黒くて、独特の体臭がきつい。
欧米人の姿もほとんどなく、アジア人、それも日本人の姿は私だけである。
ほとんど真っ黒なスリランカ人、それもなぜか若い男性がほとんどだ。

楽しみにしていた機内の映画の放送が、なぜかこの便にはなくて
3時間半の時間がとても長く感じられた。

今回、私はビザがない!無事入国できるのだろうか?
またホテルにリクエストした空港からホテルへの往復の送迎の返事を
もらっていない。

私はホテルまでちゃんと行けるのだろうか?

家族の顔が目に浮かび、一人で機内にいる自分を改めて寂しく思った。

独特の匂いと雰囲気のなか、機内は若い男性のスリランカ人で混雑していた。
荷物を上げるときに、斜め後ろのスリランカ人の女性の方と目が合った。

機内には珍しく若い女性だ。
それも凄い美人である。

昔日本でも流行ったインド映画の女優さんのように
彫りの深い顔がとてもエキゾチックである。

3時間半のフライト中、なぜか私は彼女と何度も目が合った。

そう、何度も!何度も!!


スリランカの暑い夜?新しい恋が生まれそう??
何て思いがふと頭を過ぎる。

いかん!いかん!!これじゃー○○モナと呼ばれてしまう。
妄想を消し去ってしばしの眠りに付く。


スリランカ現地時間の夜11時前にコロンボの国際空港へ何とか私は到着した。

ビザのことで頭が一杯だった私は、少しでも早く機内から女性が
私の後ろに並んでいた。

何か?背中の神経が少しだけ過敏になっている感じがした。
体の神経が背中に集中するのを感じた。

その時だった!

「HELLO(ハロー)」

後ろの美人が私を呼んだ
えっ!私に声を掛けている??

咄嗟の判断が出来ない私に、そのスリランカ美人はもう一度声を掛けた。

「Hello!!(ハロ−)」

声を掛けている!この私に!!間違いない!!!
ここはスリランカと言えでも、女性に恥をかかせる訳にはいかない!!!

満面の笑みを湛えて、思い切って「ハロー!」と言いながら振り返った私は
そこで綺麗な人が携帯電話で、誰かと話しをしている光景を見るのだった。

オーマイガーッ!!

気まずい!大きな勘違いだった。
機内にいた若いスリランカ人の男性が一斉に私のほうを見た。

そんな気がした。


「お願いだから機内での携帯電話やめてね!」

「勘違いするからね!!」

スリランカは内戦が続き、テロ等が起きているので
空港の警備にもかなり気合が入っている。
自動小銃を持った警官が、何名も警備している姿は
平和ボケしている日本人の歯医者には凄いとしかいいようがない。

何とか空港からそう遠くないニゴンボに付いた私は
深夜にホテルにチェックインをした。

心配したビザはスリランカの入国には必要なかった。
またホテルに依頼した送迎は私の名前を書いたプラカードを持った
スリランカ人が丁重に迎えてくれた。

今回の宿泊はニゴンボにあるブルーオーシャニックビーチホテルだ。
朝食コミでダブルの広い部屋が1泊5000円はトランジットでは
充分である。

かなり前にモルディブへのトランジットで、このホテルへ家族で宿泊したときは
バスタブはなくて、シャワーのみ!そのシャワーもお湯が出なくて
茶色い水がチョロチョロでるだけ!
家族は部屋の外に群がっていたヤモリの大群に恐れをなした。
また部屋の外では波の音がうるさくて、一睡も出来ずに朝を迎える経験をした。

今回は2度目の宿泊で、以前のようなヤモリの姿はなかったが
湿ったシーツのベッドは心地よいとは決して言えなかった。
また蚊の襲撃に夜中にあって、湿ったシーツを蚊帳のようにして
朝まで蚊の襲撃から身を守った。

早朝になると鳥の鳴き声がとてもうるさい。

1時過ぎに就寝して、現地時間の5時過ぎには鳥の鳴き声がうるさくて
目が覚めた。

朝食に特別にリクエストしたパサパサのフレンチトーストを頬張りながら
それでもなぜか、少しだけ居心地の良さを感じる私だった。

このホテルはスリランカでは大手のジェットウイングが経営しているのだが
数年前にこのホテルの横にはザビーチというニゴンボで始めての5つ星と呼ばれるホテルをオープンさせた。

ビーチ沿いにそのホテルに潜入してみると、すがに5つ星は違う。
アマンのようなハードに似せたホテルだった。
肝心のサービスはいかに?いつかは経験するだろうか?

またこのブルーオーシャニックビーチホテルとザビーチの間には
ジェットウイングがアーユルベーダの大きな施設を作っていた。

その施設の価格が全てユーロで表示されている事実に私は驚いた。
ここスリランカでもドルからユーロへと貨幣は大きな転換を迎えているようだった。


そしてドバイ


ニゴンボのホテルから空港までホテルから車で20分程度
厳重な警備の中、以外にチェックインカウンターまでの道のりは遠い。
早めに来て正解だった。
お昼のエミレーツ航空のドバイ行きでドバイに向かう。

そしてスリランカを出発してから4時間半後、長い長い旅を通して
やっと私は初めてのドバイの地に降りる事ができた。

ドバイの空港は、多くの人で溢れていたが、凄い豪華な設備に圧倒された。
最初からオイルパワーを見せ付けられる。

空港からのタクシーで片道6車線の両側の高層ビルがほとんど建築中なことに
度肝を抜かれる。

何だ、この都市は?ほとんどが建築中なのか?

これだけオフィスビルや住宅のニーズが果たしてあるのか?
街中が本当に建築ラッシュ!砂埃が待っていて上海とはまた別の大きなパワーを感じる。

今回、ドバイで宿泊するホテルは「ザ パレス オールドタウン」と言って
世界一の建物となるバージュアラブの近くのホテルである。

私は高いものがあると、必ず登りたくなる習性があるので、
台湾の101も、クアラルンプールのペトロナスツインタワーも制覇しているが
このバージュアラブの高さは半端ではなかった。

遠くから天に延びる様な剣のような姿が目に入る。

ドバイの街が、ほとんど建設中のために、砂上の楼閣のように感じられる私には
このバージュアラブはまさにバベルの塔のように見えた。

この世界一となるバベルの塔のレジデンスは発売8時間で全て完売!
ホテルはアルマーニホテルが入ると聞いた。

どこまでも天に延びるバベルの塔は果たして実体経済を反映する本物なのだろうか?

「ザ パレス オールドタウン」は新しいホテルだが、アラビア調の建築が心地よく
私の部屋は1階にあり、プールエリアに歩いてゆける場所!
何と部屋を出ると目の前に広がるのは世界一のバージュアラブ!!

何かバージュアラブから大きな力を感じる。

今回のドバイ行きの目的はいくつかあった。
旅行では準備はしない私だが、旅行の目的を達成させるためには事前の準備は欠かせない。

私のドバイでの3つの目的は、
1、 ドバイの医療を視察する事、特に歯科医療。ドバイは今、国を挙げて高い医療サービスを提供する地区を建設している。日本人の歯科医師でも、簡単な英語と試験に合格すれば、ライセンスが発行されてこの夢のドバイで開業が可能なのである。
2、 ドバイ株に投資するための口座開設。原油価格の高騰が私達の生活を圧迫するのなら、ヘッジとしてドバイ株を長期で保持するのは悪い選択ではないように思う。
3、 経済特区ドバイに会社を設立する。私は理由があってドバイに自分の会社を作りたいと思っていた。

この3点の目的のため、私はドバイ在住の数名に面談を求めて日本からコンタクトを取っていた。それは以下の3名。

1、ドバイに開業しているドイツ人の歯科医師。8月はドバイは暑いので、1ヶ月診療室を休んで、ドイツに帰国するので面会は駄目。
2、ドバイの証券会社の日本人の○○さん。お盆休みで2週間日本に帰るので面会は駄目。
3、ドバイの会社設立に詳しい日本人の○○さん。ドバイの夏は暑いので1ヶ月休暇で日本に帰るので面会は駄目!

何と、何と、驚きの3連敗!誰にも会えないなんて!!!

そして私の今回のドバイ行きの目的は
1、 リラックス、休む
2、 運動を始める、ダイエット開始
3、 バージュアルアラブに行く

この小さな目的3点に変更された。
余りにも大きな変更に少しだけへこむ。

しかし暑い!ドバイは暑い!!
夜になっても熱気は収まらないで日本で感じない地面からの暑さを感じる。
8月のドバイは本当に大変な暑さ!連日40度を越す暑さで、50度近く気温が上がることもあると聞く。
日本やドイツに帰る気持ちはわからないでもない。

しかし初めてのドバイの一人旅で一番困ったのが、この暑さよりも食事であった。

このホテルにはタイ料理のレストランがあったので
初めての夕食は、そこに一人で出かける。
ドバイは物価が高い!特にレストランの価格は凄く高い!
レストランによっては600ディルハム、日本円で18000円以上の食事を取る事を予約の際に必須とするレストランもある。

家族の記念日ならまだしも、一人でその料金は払えない。

ここのタイ料理のコース料理は、安くても1人8000円程度する。
また欧米人のポーションなので凄く量が多い。

コースではなくて、アラカルトで注文したいと話して
パパイヤのサラダと.タイ風の焼きそば「パッタイ」のみをオーダーする

このアラカルトは、量が凄く多かった。
味は良かった!凄くうまい!しかし量が、量が多すぎる。

残せばいいのだが、私は両親から食べ物を残さないしつけを受けているので、
出された食べ物を残す事に大きな罪悪感を感じる。

大きなお腹を抱えたまま部屋に戻る。
ドバイの1日目は腹12分目ですぐにダウンした。


 
ドバイ2日目

ドバイの2日目の計画は完璧だった。

まずは初めてのドバイをよく知るために、ビッグバスに乗る。ドバイではビッグバスと言うロンドンの会社が観光ルートのバスを2路線運行している。
 
タクシーで移動するのは一人では勿体無いので、このビッグバスを有効に活用することにした。
ワーフィーと言うエジプト調の建物の前からこのビッグバスは出発している
運航開始の9時の30分前より、私はスタンバイして待っていた。

しかし朝の8時半なのに本当に暑い!30分も外にいると体力の消耗をまざまざと感じる。

まずは旧市街のレッドコース。9時に出発した2階建てのバスの最前列に陣取った私は
90分でほぼドバイの旧市街の様子は理解した。

10時半にワーフィーに戻り、ブルーコースに乗り換えて、ジュメイラビーチへ向かう。
有名なヨットの帆のような形の7つ星のホテル「バージュアルアラブ」が見えてくると
バスの乗客はいきなりヒートアップ!!写真撮影大会とバスの中はいきなり変わった。

世界一の人口スキー場を有する巨大モール「モールオブ ジ エミレーツ」でバスを降りて買物をしようと思うが、最近の私は物欲を捨てようと思っているので、グッチのショップに入っても、ヴィトンのショップに入っても、あまり心がときめかない。

しかし観光のために、財布とカメラと携帯を、私はRSK山陽放送からもらったアレスケ君の紙バッグに入れていた。ボロボロになった紙バッグなので、いかに「みっともない生き方」がしたい私でも、少しその格好は気にしていた。
紙バッグを持って観光をしているアジア人ってなんだか怪しい!!

ドバイではブランドショップでも、ディスカウントは出来ると何かの本で読んだ事がある。

グッチで丁度よい大きさの肩にかけるバッグを見つけた。
ショップの表には「スペシャルディスカント」と書かれていた。

グッチの定員さんに「これディスカウントして!」と英語でしゃべると
露骨に嫌な顔をされた。

そして買い物はあきらめた。

一度ホテルに戻り、身支度を済ませて、私はあの7つ星ホテル「バージュアルアラブ」へ向かった。
宿泊するのではない!スパに行くのだ。

このホテルは海上に建設されていて、ホテルに行くには1本の道路しかない。
このセキュリティは厳重で、宿泊者とレストラン等の事前の予約者しかホテルに入る事は許されない。

そのため、私はこのホテルのスパを日本からメールで予約していたのだった。
この予約確認書をゲートで見せないと、ホテルへは入れない。

何回かスパの担当者と英語のメールでやり取りをしたのだが、最後に確認書が来ていない事に私は少しだけ不安を感じていた。

海外では少しの不安は、すぐにその場で解決することが肝心だ。

一応メールのやり取りを印刷したものを、プリントアウトして日本から持参してきた。

宿泊のホテルから、タクシーでバージュアルアラブに向かう途中で、このプリントした紙をホテルに忘れた事に気がついた。

嫌な予感がした。

バージュアルアラブのホテルへ通じるゲートで私は
「このホテルのスパに4時に予約している中野だ!」と英語で話した。

すると恐れていた現実がそこで起こった。

「あなたの名前はこちらのリストには無い!あなたを通すことはできない!!」

オーマイガーッ!!
「でも私はインターネットから予約して、ちゃんとクレジットカードの情報も伝えた!」

「では何か確認できる予約確認書を見せろ!」

「それは、それは、無い!!」

こんな押し問答が延々と続いたのだが、一向に埒が明かない。
ここまで来て帰る訳にはいかない!このホテルは市街からかなり遠いのだ。

「スパの担当者と電話で話がしたい!」
そう言う私の主張をセイキュリティの方は認めてくれて、電話の取次ぎをしてくれた。

スパの担当者の話を聞くと、「私の予約は最後までできていなく、取り消しとなった」と言われる。「取り消しの理由は、私が最後の確認の返事を寄こさなかったからだ!」と言う。

押し問答が続いたが、先方も自分に落ち度があると思ったのか?4時は無理だが、4時半ならスパの部屋を何とか用意できると言ってきた。
そして私は、何とか何とか「バージュアルアラブ」への潜入に成功したのだった。

このホテルは凄い!

近未来的な奇抜なデザインとアラブ独特の文化が融合して
なんとも言えない雰囲気を醸し出している。

フロントはなくてチェックインは全てお部屋でするらしい。
入り口には何名もの人がいて、デーツというアラブのデザートを配るものや
ローズウォーターを配るものや、アラビアンコーヒーをサービスするものなど
それぞれの役割があるようだった。

全てのお部屋がスイートで、最低の宿泊料が13万円ほど。
おいそれとは宿泊できないこのホテルのお客様はヨーロッパのセレブと
アラブのお金持ち!

お金持ちは見た目もカッコいい人が多かった。
本当に世の中には凄い世界があるものだ。

この7つ星のホテルの18階にアッサワンスパがある。
このスパも入り口だけでもキラキラしていて豪華絢爛である。

60分のスパは、その気持ちのよさに、ほとんど眠っしまって、感想など何も無い。

さあ、バージュアルアラブも体験したし、ホテルに戻ろうか?それとも
妻のお土産を探しにダウンタウンへ繰り出そうか?

ホテルの表に出ると、そこにはいつものホテルの前に数台待っているタクシーは1台もなかった。
ホテルのリムジンか、レクサスのリムジンしかなかった。
普通のタクシーは往路はよくても復路は無理らしい!

ここは思い切ってレクサスのリムジンで、ドバイのブランドショッピングはここと
呼ばれるバールジュマーンセンターへ向かった。

リムジンの運転手が、その場で降ろすだけでいいですか?それとも待っていましょうか?と聞いてくるので、片道だけの利用で長い距離を誰も乗せないで帰るのは、効率が悪いので帰りも稼ぐためにそう言っていると私は解釈した。

しかしその解釈は大きな間違いで、運転手さんは好意で言っていた事に私はすぐ気が付くことになった。

バールジュマーンセンターに到着すると、そこではタクシーを待つ長蛇の列が出来ていた。
本当に長蛇で最後の人はこのままじゃ2時間位待つんじゃないかと想像された。

さっきのリムジンを返したことをすぐに後悔した。

ショッピングは何も買わないですぐ終わったので、そこからタクシーを捜すのが大変だった。

このままここで列に並んで待つことは私には出来ない。

少し移動してタクシーを捜そう。そう思った私は、外を歩き出した。

しかし夕方とはいえ、ドバイの暑さは半端ではない。
5分も立たないうちに汗が噴出してくる。
また基本的にドバイの街は工事中が多いのと、人が歩くように設計されていないので
すぐ目の前のホテルに向かおうと思っても、なかなか辿り付かない。

20分ほど掛かって目の前のホテルへと到着!しかしここにもタクシーの姿は無い。
かなりの時間が経過した時に一人の人が私に声を掛けた。
「どこまで行くんですか?」

私は、ホテルへ帰ることと、さっきのセンターでお土産を買えなかったので
ゴールドスークと言う金製品を売っている場所へ移動するかどうか?タクシーが捕まらない状況を考えて、秤にかけた。

「何とかなる」そう決心した私は、その人に「ゴールドスーク」へ行きたいと言うと
その人はホテルのリムジンの運転手の人で、わざわざ車を私のために出してくれた。

ゴールドスークは凄い熱気に溢れていた。
ここの金製品はデザインじゃなくて重さで価格が決定する。
豚肉を売るように秤で重さを測って価格が決定するのだ。

妻に金のネックレスを買おうと粘った私だが、アラブ人の強引さに後ろに押されて
結局何も買えずにスークを後にした。

このような市場では、余り遅い時間になればリスクも高まり、タクシーが拾えない!!
これはアジアでも同じである。
ソウルの東大門市場、台北の夜市、バンコクのバッポン、全てタクシーがなかなか拾えない。

早く帰ろう!
そう決心した私は表通りに出ると、既に時が遅かった事に気がついた.
そこで私が見た光景は多くの人が参加してのタクシーの争奪戦だった。

到着したタクシーに一列で並んで順番に乗るんではなくて、人より先にタクシーへ向かって窓口から運転手に交渉してタクシーに乗り込むのだ。

私は決してそのような行為は苦手ではないが、押しの強いアラブ人と欧米人に圧倒されて
20分経過しても30分経過しても1台のタクシーを確保することができなかった。

同じ境遇の観光客は私だけでなくて、横の英語を話すカップルも
30分以上タクシーを止めることができないでいた。

次から次にタクシーは来るのだがタクシーを待つ人が圧倒的に多い。
ここでは需要と供給のバランスがいびつに崩れていたのだ。


そのとき、アジア人の1人の若いお兄ちゃんが、その欧米人のカップルに話しかけた。
「この時間は、タクシーはほとんど捕まらない!私と金額を交渉しないか?」
「どこどこまで幾ら?」
「80ディルハム」
「高い!60にしろ!」
「いや私もビジネスでしているので、まける事はできない」

シロタクだ!
アジアでも多いのだが、認可されていない白タクの被害は多く報告されている。
普通の金額の2倍や3倍を平気で吹っかけてきて、それも現地に到着すると勝手に値上げしたり、交通事故を起こしたり、国によっては金品の強奪も報告されている。

海外では、絶対に白タクに乗ったらいけない!
これは海外旅行者の間では常識である。

その欧米人のカップルは、一度は値段交渉が成立したものの、安全面での不安を感じたのか?次の瞬間、交渉は決裂した。

その時に、私の前に一台のタクシーが止まった。
そのタクシーに私と、アラブ人のの女性と、さっきの欧米人カップルの3組が殺到した。

アラブ人の女性が一番に運転手と話をしたので、負けたと思った瞬間
タクシーの運転手は欧米人のカップルに乗れとサインを出した。

これに怒ったアラブ人は運転手に文句を言うと、その運転手は「客を選ぶのは私だ!」と捨てゼリフを残して走り出していった。

負けた!完敗だ!!このままではいつまで経っても帰ることが出来ない。
そして、ドンドンと夜は更けて、リスクは増大する。

意を決した私は何を思ったのか、さっきの白タクの運ちゃんに自分から声を掛けた。

「ジパレスホテルまで幾ら?」
「80ディルハム」
「高い!60にしろ!」
「いや私もビジネスでしているので、まける事はできない」
 
普通じゃ30が相場なので相場の2倍以上である。
でも2倍でも安全に帰ることができるなら高くは無い。

私は彼の金額を飲み込んで交渉は成立した。

彼の車は駐車上の奥のほうに止められていた。
窓ガラスは汚くて、外がよく見えないほどの、ぼろい車だった。
失敗した!事故でも起こすとどうしよう。

また違う道を走って、暗がりに連れ込まれたり、仲間が来て金品や命を要求されるとどうしよう!

幸い、道は凄く混んでいるので、いざとなれば車から飛び降りて走って、車と反対方向へ逃げると、まさか車を置き去って追いかけることはないか?

そんな思いで、こわごわと車に乗り込んだ。

とりあえず少しでも仲良くなろうと運転手の彼に話しかける。
「どこから来ている?」
「バングラディッシュ」
「ドバイに来て何年?」
「4年!」
「家族は?結婚しているか?」
「独身だ!家族はいない!」
「両親はバングラディッシュにいるのか?」
「父親は死んでもういないが、母親はまだバングラディッシュにいる」

この辺りから私は皮膚感覚として身の危険を感じる事は無くなっていった。
道も間違っていないし、意外に安全運転を心掛けている。

ただ唯一の問題は

問題は、このバングラディシュ出身の彼がホテルの場所はよく知っていると
言いながら、実は場所を知っていない事だった!!

私は夜のドバイで、運転手の彼と2人で工事中の人に声を掛けながら
ホテルの場所を探して何とかホテルへと戻るのだった。

いたるところが工事中のために一方通行が多く、入り口が規制されているので
近くににはいるのだが戻るに戻れない!!

今日1日は、本当に長かった。

ドバイ3日目

アメリカの方面に飛ぶと時差がきつい。
ヨーロッパの方面に飛ぶと時差はきつくはないが
夜は早く眠くなり、朝は暗いうちから目が覚める。

ドバイに来て私は急に朝方になり、朝の4時に毎朝目が覚めた。
夏のドバイでも朝の4時は真っ暗である。

でも朝の4時から暑い!!

誰にも会う約束が無いので、本当にこの3日目は何もする予定がなかった。
本は読みきれないくらいスーツケースに入れてきたので一日中プールサイドやお部屋で読書も悪くは無い。

でも折角ドバイにいるんだから!

朝から昨日のリベンジでゴールドスークへ向かう。
その段階で私はショッピング天国ドバイで何も買っていないことに気がついた。

このままじゃ家に入れてくれない。

昨夜のような熱気はないものの朝からゴールドスークは金の宝飾品を探すアラブ人で溢れかえっていた。

一先ず、一見のお客が多い店に入って、店員を捕まえて、女性用のネックレスが見たいと言う。本当にあんたはクレオパトラか?とこちらが恐ろしくなるような凄い派手なデザインのネックレスが売られている中、最もシンプルなネックレスを見つけた。
店員さんに言わせるとこれはネックレスじゃない!単なるチェーンだと言う。

金額を尋ねると、秤に載せて、17000ディルハムと言う。
日本円で5万円以上!日本人と言っても吹っかけられたものだ。

私は昨日別の店でずっとアラブ人と店員さんのやり取りを綿密に観察していた。
どの大きさのチェーンがどのくらいの値段か目星は付いていた。

この重さなら2万円もしないはずだ。
「高すぎる!」と言うと
「幾らなら買う?」と聞いてきた。
このセリフを話す店員から買う気は全くないので昨日の店へ移動する。

同じようなチェーンを見つけて値段を聞くと1本15000円ほど。
これなら昨日の調査を考えても適正な価格だろう。

その価格から値段交渉をするも、びた一文負けてくれなかった。
でも妻へドバイのお土産が買えたので少しだけ満足して店を出る。

旧市街の観光地に移動するも昼間でもなかなかタクシーが拾えない。

ここドバイでは本当にタクシーの需要と供給にバランスが大きく崩れている。
個人旅行では要注意である。

生まれて初めてのアラブ料理をランチで食べた頃から、私のお腹の調子が悪くなってきた。

何とかホテルの部屋に戻り、トイレに篭るも、3月のカンボジアの状況と少し勝手が違っていた。

お腹はゆるいのだがそう痛くは無い。
その代わりに肛門の周辺がとても痛いのだ。

歩くのにも支障が生じるくらい肛門が痛いのだ。

原因はタイ料理か?

一日目の夜はホテルのタイ料理、昨日の夜は、ホテルの前のショッピングセンターの中に
あの有名なタイ料理の「マンゴーツリー」を見つけて2日連続のタイ料理のディナーを取っていたのだ。辛い唐辛子が消化されて肛門の辺りまで降りてきたのか?

痛い!

最後の晩餐はどうしよう?
全ての食事をお一人様で食べていた私は最後はやはり自分が好きなものを食べようと
決意した。

そしてそして、肛門の痛い私は3日連続でホテルのメインレストラン「タイ料理」のレストランに行くのだった。

そんなにタイ料理が好きなのならドバイでなくてバンコクへ行けば?
今度から、そうする。

このホテルの場所はバージュアラブを中心に大きな都市が建設されていた。
ドバイモールと言う巨大なショッピングセンターがオープンしてバージュアラブが完成した暁には私はまたドバイの地を踏みたい。

1週間で景色が変わると言われるドバイの次回が私は楽しみだ。

投稿者 nakano : 20:42 | コメント (0)

2008年08月10日

審美歯科セミナー

土曜日の夜に友人の
誕生日パーティで
深夜まで盛り上がる。

娘に「50前になっても、まだ誕生日パーティ?」
と少しだけあきれられても
思いきり馬鹿になって騒げる友人の存在に感謝!!

ワインを飲みすぎた私は翌日真っ赤な顔で
目覚めるのだった。

今日の日曜日は大阪で開催された
審美歯科修復セミナーに参加した。

今日広島では、広島SJCDの発足記念講演会があって
大阪か広島か悩んだ挙句大阪の審美をとった私だが
この決定は正しかった。

今日のセミナーの主催者はIPOI学会!
インプラントを主体とする学会だが、この学会の
メインの講師陣は福岡の歯科医師の先生方だ。

私がインプラントのメンターと思っている
何度もインプラントのオペの見学に診療室に訪れた
あのG先生も博多の駅前にオフィスを構えられている。

今の日本の歯科のスタディグループは
東京を中心とするSJCDと
大阪を中心とするJIADSが2代巨頭だが
私が所属するJIADSは最近どうやら雲行きが怪しくなってきている。

IPOIのグループは福岡を中心とするグループだが
岡山の私のとっては福岡は新幹線を使えば
東京より便利は良い。

本日の審美歯科セミナーは
歯の表面を1mm弱削って、薄いセラミックのシェルを貼り付ける
ラミネートべニア法と
GCのグラディアに代表される保険外のコンポジットレジンの
ダイレクトボンディング法と
プロセラ、LAVAに代表されるオールセラミックスの話に集約された。

私も大学の補綴科出身のため
セラミックを使った審美歯科は得意とするところで
今日の話のほとんどは知っている内容だったが
自分の臨床を振り返り、もっとレベルを上げるためには
ちょうど良い内容のセミナーだった。

講師の二人の先生の臨床は素晴らしく
美しい審美歯科の症例を見ることは
自分の目の審美眼を養うためには必要なことであった。

お二人ともアメリカ審美歯科学会のAACDに参加されていることが
私と共通で親近感を大いに感じた。

3年前にカナダのバンクーバーでAACDのセミナーがあったときに
私は英語が苦手なのを克服してセミナーに参加した。

その場で多くのマテリアルやテクニックの情報を得て
凄い経験をしたと今でも思っている。

昨年のサンディエゴでのセミナーは日程が日本のGWと
ずれたために参加はできなかった。

しかし来年のAACDアメリカ審美歯科学会の春の開催は
おそらく日本人の参加を意識してか?
GWの真っ最中にあのハワイで学会が開催される。

GWに学会があると、診療に穴を開けないで参加できる。
またハワイに行く交通費も宿泊費も全て経費で落とせるのだ。


来年のハワイは決定した。

後の問題は私の英語力だけ!!

いくら願っても、いくら潜在意識を使っても
何も行動しない私の英語力は一向に向上しない!!

投稿者 nakano : 23:42 | コメント (0)

2008年08月08日

歯医者の口内炎

午前中に歯科衛生士さんが
見学に来られた。
最近多くの歯科衛生士さんが
当院に就職をしたいと見学に来られる。

歯科医院の強力なパートナーである歯科衛生士さんから
注目を集めるのはうれしいことだが、
決していい気になるんでなくて、逆に襟を正すべき点は正そう!
と強く心に誓う。

当院で働いているスタッフ皆が心から自慢できる歯科医院に私はしたい!!


今日の朝は2年以上もレギュラーを持たせてもらっている
RSKラジオの生放送の日だった。

生放送って本当に気を遣う。

診療直前の10分程度の時間だが、もし万が一、何かトラブルがあって
生放送に穴を開けたとすると、その途端おそらく私のラジオのレギュラーの椅子は
その場でクローズされる。

おそらく同時にテレビもアウトになるだろう。

民法なのでラジオもテレビもスポンサーの企業がいる。
多くのマスコミ関係者の方と、多くのサポートされる企業の方が
ラジオでもテレビでも番組を本気で頑張って作り上げている。

だから私も毎回一生懸命に努力するのだが
「2年以上も歯の話題がよくありますね!」とよく聞かれる。

歯科の話題って本当に広い!まだまだ伝えたい話題は山のようにある。

今日の話題は「口内炎」だった。

2年以上ラジオで話をしていて、10ヶ月間テレビで話をしてきて
「口内炎」の話題を私は初めてした。

理由は簡単だ。

私自身が先日唇の見える場所に大きなアフタ性口内炎ができて
痛みが強くて大変だったからだ。

「歯医者さんでは、口内炎に対してどんな治療をするんですか?」

歯医者:「そうですね!軟膏と言う塗り薬やうがい薬を出すこともあります。」

「軟膏を付けるとすぐ治るんですか?」

歯医者:「塗らないより塗った方がましですが、即効性はないことが多いですね!」

さすがに口内炎の話題はアナウンサーの方も困った経験があるらしく
久しぶりにスムーズに話は進んでいった。


「先生、やはり口内炎もそうですが、体の健康が一番大切とうことですね!」

歯医者:「そうですね!ある意味で口内炎は体からのサイン、シグナルと言えるかもしれません。
口内炎ができた時は、立ち止って体の健康を考えるチャンスなのかもしれません。」


決まった!締めの言葉も自分なりにかっこいい!!

何て話しながら、先日の私の口内炎は何かのサインか?

休めってシグナルか?と自問自答する。


最近、両親や義理の父親から「休みなさい!無理はするな!!」
と口酸っぱく言われるようになった。

その後では必ずこのセリフが付け加えられる。

「もう若くないんだから!!」

その一言が私の魂のどこかに火を付けてしまう、だから休めない!!

投稿者 nakano : 23:22 | コメント (0)

2008年08月07日

子供クラブ2008年夏イベント

岡山駅前のビッグカメラに
出かける。
モバイルのPCが100円の
価格に度肝を抜かれる。

ソフトバンクのアイフョンも0円!
オーディオも無茶安い!!

そんな中で私が買ったものは
4980円のCDラジカセ!

「そう言った買い物を、無駄使いと言うの!」と妻に釘を刺される。

今日の木曜日は当院の子供クラブ「みがキッズクラブ」の
夏イベントの日だった。

昨年は当院の診療室と屋外で行った夏イベントだが
屋外で行った「スイカ割り」「ヨ−ヨー釣り」はことのほか好評だったが、
屋外で一日スタンばったスタッフは、ほぼ熱中症でダウンした。

それなので今年は近くの北ふれあいセンターの
研修室を1、2、3全て借り切って行った。

しかしここで大きな誤算が生じたのだが消防法の関係で
定員が1,2,3全て借り切っても60名程度しか入ることができない。

応募があった子供たちを半分以上お断りするスタッフの姿は本当に物悲しかった。

しかし当院のスタッフは頑張った。

紙芝居も、クイズも、じゃんけん列車も、すべて力を出し切った。
表に掲載した大きなお口の看板にもスタッフの努力がにじみ出ていた。

(イベントでは院長の私は何もしない!スタッフから報告を受けるだけだ!)

いつも当院のイベントは目玉を用意しているのだが
今回の目玉はバルーンだった。

日本でも有数のバル−ン風船の専門店「アップビートバルーン」の
片田先生をスペシャルゲストとして、お呼びして
プロのバル−ンを皆で満喫した。

バルーンは昨年のクリスマスイベントで行ったことがある。
あの時のバルーンは100均で買ったバルーンだったので
犬を作る途中でよく割れた。

割れるたびに小さな子どもたちは、その音に怖がった。

しかし、しかし、やはりプロが扱うバルーンは物が違う!!
今日は大きなアヒルを作ったのが、誰一人として風船を割らないで
バルーン作りが進んだ。

今回のイベントは2歳の小さな子どもから、小学校高学年のお兄ちゃんまで
幅広い層のお子様の参加だったので、内容に偏りがないかどうか
とても心配していたのだが、プロの片田先生の軽快なトークに乗って
参加していた子どもたちは誰もがバルーンに夢中になった。

色々とお世話になったアップビートバルーンの関係者の方には
本当にお世話になりました。

今回イベントを通じて、当院に通う子供たちと当院のスタッフの
垣根がまた1つ少なくなってゆくのを感じた。

また頑張って準備をしたスタッフが、イベントを通じて成長してゆく姿を
見ながら、本当にうれしく思った。


次回のイベントは「インプラント友の会」
その時のスペシャルゲストも、これまた凄い!!

投稿者 nakano : 22:31 | コメント (0)

2008年08月06日

バンコクからの手紙

他の歯科医院でホワイトニングを
受けてみたのだが、その結果に
満足できなくて当院を受信する!

そんな方がここ最近増えてきている。
ホワイトニングには限界がある。
芸能人のあの歯の白さには
ホワイトニングでは決してならない!

私たちはもっと歯のホワイトニングの正しい情報を
一般の方に伝える義務があるのではなかろうか?

だって、シンジョーのあの歯の白さは
ホワイトニングじゃなくってセラミックだもん!

2週間前、私は確かにバンコクにいた。
そんな2週間目の私から私へ手紙が届いた。

これはバンコクでセミナーを受けた時の最後のワークで
未来の自分に手紙を書こうというワークだった。

未来日記という未来の自分の日記を書くことは
自己啓発セミナーでも使用されているが、未来日記の変形バージョン
と思ってもらえればいい。

未来の自分はこうなっているだろうと、思いっきり願望を組み込んで
書くのがコツである。

未来と言っても、今回の手紙はわずか2週間先の自分への手紙だった。

「2008年7月21日の私から、8月4日の私へ!

こんにちは!たぶんバリバリと一生懸命仕事をしていると思われます。

私は7月19日から21日にバンコクへ飛んで、この国の
商業施設や、株式会社運営の病院、歯科医院を見学しました。

8月4日の私はすでに○○と○○と○○を行動していると思います。

忙しい中、よく頑張って行動したあなたを私は心からほめて祝福したいと
思います。

あなたのその思い切った行動は、将来あなたとあなたの家族と
身の回りの人たちに大きなGIFTをもたらします。

健康に気を付けてこれからも頑張ってください!」

わずか2週間前に書いた手紙の内容を私はすっかりと忘れていた。

もちろん必ず行動すると書いた○○と○○と○○も
今だに手つかずのままだ。

いかん、いかん!忙しいことは言い訳にもならない!!
すぐに行動に移さないと人生のスピードは意外に早いものだ。

同じ時に行ったワークでこんなことも行った。
「あなたが一番好きな人に、2週間後の届く手紙を書きましょう!」

今日私の妻へも2週間前のバンコクにいた私から手紙が届いた。


妻に「どうして今頃バンコクから手紙が届くの?」と聞かれた私は
自分にも届いた手紙を見せながら、バンコクで参加したセミナーの
最後のワークで「一番好きな人に手紙を書いた!」と伝えた。

「えっ!一番好きな人って自分なの??」と
言葉足らずな私は妻に『ドン引き』された。


でも私が一番好きな人に書いた手紙は果たして1通だけなのか?
どこかのキャバクラのお姉ちゃんに手紙は書いていないのか?

真実は誰も知らない!!


投稿者 nakano : 22:11 | コメント (0)

2008年08月05日

口臭

今日もクタクタになりながら
診療は続く!!

スタッフ全員面談も7月末で無事終わり
当院のスタッフに8月に入って何か気合いが
入ったように感じるのは私だけであろうか?

何はともあれ、歯医者の仕事ができる幸せにどっぷりと浸かる。


夕方の4時過ぎに、スタッフの目を盗んで2階に駆け上がり
歯磨きを念入りに行う。

歯磨きは1日3回食後には必ず行っている。
そんな私がなぜスタッフの目を盗んでまで4回目の歯磨きを行うのか?

その理由は口臭予防のためである。


人間は生きているのだから無味無臭で過ごすことなんてありえない。

特に口の中はいくら念入りに歯磨きをしようとも、多くの細菌が
溢れ返っているので、全く匂いをゼロにすることは困難である。

しかし口臭は嫌だ!
特に審美歯科を得意とする私の主な患者さまは若い女性!

その女性の前で、自分の口臭に気がつかないで
熱く審美歯科を語っても仕方がないし、説得力に欠ける。


人間って自分の口臭に気がつかないように体が設計されている。
だから自分の口臭に気がつかなかったり、逆に口臭はないのに
あると強く思いこんで悩んでいる人が多い。


先日も友人からある相談を受けた。

それは口臭のこと!
岡山である業種の店を何店舗も展開していて
その業界ではカリスマとも呼ばれている友人の雄一の悩みが口臭であった。

それも他人に指摘されるのではなくて、自分であると思い込んでいるのだった。

口臭にもいろいろな種類があって生理的口臭は病的口臭に分けられるが
本当は口臭がなくても自分に口臭があると思い込んでいる場合を
自匂症と呼んでいる。

私も口の中は銀歯だらけ!ブリッジもあればラミネートべニアもある
歯の博物館状態なので、いかんせん自分の口臭が気になる。

マスクをかけたまましゃべる方が、口臭の面では気にならないが
公衆の面前では、それは失礼な行為となる。


45年以上も生きているのだから体から
変な匂いが漂っても仕方がないのかもしれない!

体がだんだん酸化して、加齢臭が漂っても仕方がない!!

でもね!みっともない生き方はできても
臭い体って、やっぱり我慢できないのよ!!

「院長、この口臭予防キット、どうするんですか?」
スタッフからの質問に
「うん!試しに皆で使ってよかったら患者さんに薦めようと思う!」

何て言いながら、実は自分が一番
その口臭予防キットを使いたがっているのだ。

キレイな息、してますか?

投稿者 nakano : 22:31 | コメント (0)

2008年08月04日

みっともない生き方

土曜と日曜日に
心理学の先生のワークショップと
個別セッションに参加!

「心理学って、院長は何か悩みがあるんですか?」と言う
スタッフからの質問に
「もちろん恋愛関係の悩みだよ!!」なんて嘯く。


土曜日は岡山で花火大会!
浴衣で彼女と花火を見に行ったのは、はるかはるか遠い昔!!

私が影響を受けている人物のひとりに「金森重樹」さんがいる。

東京大学出身!行政書士、通販大家さん代表!
メルマガでは日本一の購読数を誇るすごい人だ。

実は彼はあまり話さないが金森さんは岡山県出身で
私と同じ岡山大安寺高校卒業!

私の高校の後輩になる。
そんなご縁もあって、私は金森さんと何度か六本木で
2人で飲んだこともある仲である。

それなので彼が出す本も監訳する本もすべて読破しているし
彼がインタビュ−されるCD教材もすべて聞いている。


ある面で凄いエネルギーをもち、すごく頭の回転の速い人間と私は思っている。

そんな金森さんが先日届いたCDの中で、こんなことを言っていた。


「みっともない生き方をしたい!」

みっともない生き方?

「私はお金があるからと言って、高い車に乗ったり、家賃の高い事務所に移ったりはしたくない!」

「ビジネスの必要なところにはお金はかけるが、普段の生活はなるべくお金を使わないで、
みっともない生活がしたい!!」


みっともない生活!!
私も同じ思いを実は持っている。

私は車や服や時計にお金をかけることは、贅沢だと思っている。
なるべく物を持たない生活を心がけている。


車は14年目のゴルフ!まじめだけが取り柄!質実剛健。
壊れるまでは乗り続ける。

車のトランクはごみ箱状態!みっともない!!


服はセールでも、なるべく買わない!
もちろん定価ではほとんど買わない!!

普段はユニフォームとパジャマがあれば生活できる。

オフの日には、スーツとユニクロしか私は着ない!
おしゃれな普段着など私には存在しない。

今ではパンツも靴下もすべてユニクロ!それも穴があいても
家族が処分するまでは平気で着続ける。

スーツもネクタイも数年前までは必ずグッチと決めていた私だが
今では980円のネクタイで十分である。


家電製品が壊れると、新しく買った方が安くなっても
お金を賭けてでも修理してそれを使う!!

他人から見るとかなりみっともない!おしゃれじゃないし、かっこ悪い!!

でも私はそんな生活を楽しんでいる。


日産のCMで「モノより思い出!」ってやつがあったように思う。

私の生活は「モノより経験!!」

本やセミナーや旅行などの非日常の体験には
投資しても物には執着したくない!!

あるスタッフが私のユニフォームも靴を見て言った。

「院長!靴が痛んでます。」

「人は見た目が9割です!!
女性は足元に注目しますよ!」

うっ!女性と来たか??
さすがに当院の愛するべきスタッフ!!
私の弱点を心得ている!!

みっともない生き方と、女性にもてる生き方。

私はどっちを選ぶのだろう??


投稿者 nakano : 20:50 | コメント (0)